※関連エントリー:「面白い人ほど会社を辞めていく」なんてこたない、3つの理由。もよろしければどうぞ。
「ノマド」ってコトバがあります。ご存じない方のため(あんまいないか)にはてなキーワードからその定義を最初に借りときます。
北アフリカの砂漠や中央アジアの草原で、羊や牛を追って生活している遊牧民。最近では、「オフィスのない会社」「働く場所を自由に選択する会社員」といったワークスタイルを実践している人々の意味でも使われる。
僕個人はオフィスが苦手で、よく周囲の人から「席にいない」と(文句を)言われるタイプの人間です。なので、このコトバを最初に聞いたときは非常にしっくり来たし、すぐに好きなコトバになりました。アドマンからノマドマンに名称変更しようかな、くらいに考えたこともあります(ウソです)。
またノマド関連書籍は注目を集めており、佐々木俊尚さんの「仕事するのにオフィスはいらない」を始め、「「どこでもオフィス」仕事術―効率・集中・アイデアを生む「ノマドワーキング」実践法
」や「クラウドHACKS! ―同期と共有でラクチン・ノマドワークスタイル
」、ツールに特化した「iPadノマド仕事術
」など、それぞれ「技法」として参考になるところが多々ありますし、多くの実践者がいることもタイムラインを見ていると肌で(目で?)感じます。
そんな「ノマド」なんですが最近嫌いになってきました。ということをつぶやいたら思いの外、多くの方から同意の反響が。それも僕が知るかぎり、けっこう自由なスタイルで働いている人から同意を多くいただきました。
同意いただいた方の総意と僕のキモチが同一じゃないかもしれないけど、整理をするとたぶんこのコトバが語られている文脈がきっと「気に食わない」んだと思う。「ノマド」それ自体を否定するわけじゃなく。すごくコトバが悪いけど、たぶんそうで。
そういうフワフワモヤモヤした「なんか」なキモチをコトバにすることはすごく大事だと思うので無理やり整理&書いておきたいと思います。たぶん3つある。
1. いわゆる「カイシャ」の否定
「ノマド」を推奨する方々の根底には「カイシャ」の否定があるように思う。たぶん「ノマド」な人から見ると、「カイシャ」は窮屈に見えるんだろう。「ノマド」を語る多くのブログでは「カイシャ」から解き放たれて「自由」になろう、って文章が目立つ。
確かに窮屈なところもあると思う。いろいろルールはあるし、場所を選ぶし、コトバを選ぶ。オフィスってやつも、ある程度まではただのコストだし。でもそういうルールがあるからいろいろ楽しいし、そんな「カイシャ」はいろんなモノを世の中に生み出してきたし、これからも生み出していく。それを否定されるのはなんか「気に食わない」ってなったりするんだろうな、と。
もっと言うと、オレのやってる仕事は楽しいぞ、と。
2. いわゆる「先人」の否定
これがもしかしたら僕が個人的に一番ダメなところなのかもしれない。「ノマド」を推奨する方々は若い方が多く、それこそ僕と同い年かそれより低い年齢の方もいる。僕も生意気いうタイプなので、「お前が言うなや」とか言われそうだけど、どうしても発言の奥に「先人の否定」が見え隠れする。
僕個人はサイバーエージェントという平均年令29歳の会社に5年半在籍していて、もしかしたら「先人の否定」をしてしまう人間に育ったかもしれない。が、運良く社内外の諸先輩方に良くしてもらい、目をかけてもらい、いろんなモノを、コトを教えてもらった。特に40代以上のベテラン層が存在しない弊社において、社外の先輩から学んだことは素直に大きいと思う。時には厳しく叱られたりもした。
そういう経験は本当に僕の血肉になっていると思うし、そういう経験なしで・・・とも思うのです。
3. 過剰な「ソーシャル礼賛」
これもよく感じるところではあるんだけど、過剰なまでのソーシャルメディアの礼賛、があると思う。文脈も紋切り型で、「facebookが7億人を突破し・・・」からの「今までとは全く異なる・・・」というような書き出しだったり話し出しだったり。
僕個人、社会人になった段階でブログの存在があり、運良くブログで「セルフブランディング(笑)」できたタイプではあるので、いろいろ感謝をしてはいます。が、冷静に言って「それ以前」を経験していませんし「今までとは異なる・・・」なんてのは恥ずかしくて言えません。
ソーシャルメディアや革新的な技術の進歩は確かにいろいろな側面で生活やワークスタイルを変えてくれます。今まで簡単には出来なかったことのハードルが低くなったり、何かが強化されたり、それ自体はすごく良いことだと思います。がしかし、それで「ソーシャル万能」を謳うのは馬鹿げているし、ソーシャルメディアが強化する旧勢力(悪い意味ではなく)みたいなところまで冷静に評価すべきだと思うわけです。
と、ここまで書いて、オレはオッサン化してんのか?と思いましたが、別に誰かを個人攻撃したいわけでもないし、思想としては好きなコトバでもあります(いやまぢで)。
僕が好きなフレーズがあります。「学校の校則を最もよく知ってるのは、学校で最も悪いヤンキーだ」ってやつです。コレは何かの漫画で出てきたヤツなんですが、ルールを破るにはルールを知らなきゃいけない。知った上で壊すのはイノベーションだし、知らないで壊すのはただのはぐれ者。まぁ、ヤンキーは違うけど。
大きな会社に意味が無いわけがない。Googleだってfacebookだって、そりゃ最初は小さい組織だったかもしれないけど、大きなコトをなすために大きな組織を作ってる。それを否定しちゃ大きなコトを成せないだろ。実際ノマド的なスタイルで大きなコトをなしている人もいる。歴代大統領のブレーンを務めたジャック・アタリなんかが良く引き合いにだされるけど、そうした人には豊富な経験と年月があるからこそ、だと思う。
それにノマドを標榜して、「カイシャ」の枠組みにとらわれず仕事が出来るのも、その環境を作ってくれている大きな「カイシャ」があるからじゃないすか。そうした「カイシャ」で一生懸命働く「先人」がいるわけじゃないすか。そもそもそうした内容でセミナーしている対象やクライアントが大きな「カイシャ」だったりするじゃないすか。日本国民全員がノマドスタイルで仕事しちゃったらどうなるんすか。
個人で勝負することを否定するわけじゃないし、むしろ賛同したい。ただ「カイシャ」の中でもそれはできるし、それはとても大切だと思う。そうした経験が、個人としてのブランドをきちんと強化してくれる、とも。またこうしたコト、いわゆる「個人ブランド」が大事、と言った論調は、今の時代に限ったことではなく、昔からあったことだと思うし。
誤解のないようにもう一度書いておくと、「ノマド」の思想自体は素晴らしいものだと思う。たぶん認識の問題で、ノマド=アンチ「カイシャ」×アンチ「先人」×「ソーシャル」礼賛、って先導的に語られてしまっているのが、たぶんおかしくしてしまっている主因なんじゃねーか、と思う。
僕は一応まだ20代ですが、そういう中でちゃんと生きていきたいし、ちゃんとそれを示していきたいと思います。若いヤツがすべてそういうの礼賛じゃねーし、会社人として意義あることをなすべくちゃんと先人から引継ぎ、その上で新しいものを築いていきたい。という、個人的なモヤモヤでした。ちょっと酔っ払ってます。
(2011.09.18 4:20追記)
感覚として何かに似てるなー、と思って記憶を探してみたんですけど、一時期話題になった「Me2.0 ネットであなたも仕事も変わる「自分ブランド術」」を読んだ時の感覚に似てるんだな、コレ。著者のダン・ショーベルは確か当時20代(今もかな?)で、若き成功者的な立ち位置で本書を書いているんですが、なんとも言えないむず痒さを感じた。
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個人的にはノマドっていう“働き方“は好きです。ノマドは“働き方”であって、“思想”ではない気がします。フリーで仕事やってても人とつながりでやる訳で・・・ルールもあるし制限もありますよもちろん。おっさん=経験を積むことと解釈するならば、経験を通して“制限の中に潜む恩恵”に気づく力が培われたのだと思います。
「ノマド(ワーキング)」という言葉と「フリーエージェント」の代替として使っているから混乱が生じるのではないでしょうか? 前者は働くスタイル、後者はライフスタイルです。
ですが、いわゆる世間一般で言われている「ノマド」というキーワードの使い方の背後に漠然とそうした「フリーエージェント」なライフスタイルのイメージを感じてしまっていることによる反応なのかな?そして一般的にそう受け取られているのかな、と感じながら本エントリを拝読しました。
私自身は今年にフリーランスとして活動を開始しておりますが、フリーエージェント的に働く者の視点から見て特に会社組織を否定する状態にはありませんので、正直違和感を感じております。対立する構図にも先導する構図にもなっておりません。敢えて言えば異なった視点からコラボレーションする関係なのではないでしょうか?
今回の記事、興味深く読ませて頂きました。
自分自身、ノマドという働き方に深く興味を持っている人間であって、
どちらかと言うと賛成派の意見ばかりを聞いていたので、
読んでいて非常に面白かったです。
当たり前のことですけど、同意できる部分もそうはいかない部分もありましたが、
「カイシャ」や先人の否定に対する意見に関しては、
自分たちが恵まれた環境の会社にいたからこそ言えるんじゃないかなと感じました。
人や組織に恵まれていればいるほど、
ノマドへの抵抗感が強まる気がします。
逆に、会社での「繋がり」が面倒な「しがらみ」になっている人にとっては、
ノマドというスタイルはとても好印象に映るんじゃないでしょうか。
はじめまして。
最近になって今頃、「ノマド」という言葉が流行っていたことを知ったものです。
ちなみに現在の自分の働き方は、その言葉に比較的近いスタイルだと思います。
が、他の人と全く同じとは思っていません。
今回の記事で取り上げている「モヤモヤ感(=違和感)」は、
一言で言ってしまえば、メディアや大勢で、みんな口をそろえて「ノマド最高」とか
「ノマドで行こう」とか、騒ぎ立てること自体が単純にシックリ来ないだけなんじゃないかと。
(「一言」になってないですが..)
こういうのって、わざわざ声を大にしていちいち定義づけながら型にはめながらカテゴライズしながら、
みんながみんな同じように、みたいな行為や思考自体が、そもそもズレているんだと思います。
典型的な、従来型(日本型)「大人」のやりがちな行為ではないかと。
それぞれが、微妙に異なるスタイルで自由に個性を生かして世の中に貢献できていれば、
それでいいだけのことだと思います。
もちろん、今あるこの場や世の中、環境を創りあげてくれた先人たちや歴史あってこそですし、
この流れ(傾向)を助けてくれる仲間や環境、サービス、商品も大切なものだと思いますし、
それへの感謝は忘れてはならないと思います。
もろ一般の会社員です。営業なので外出が多くあまり会社にいないですが。
で、私もノマドワーカーというコトバがなんか嫌いです。
私も普段はNotePCを持ち歩いていて良く喫茶店で資料作成やメールをしています。
でも間違っても他人から「ノマドワーカー」っぽいとか言われたくないですね。
ハッキリ言って、とてもカッコ悪いです。
フツーに「モバイルワーカー」とかの方が良いですねぇ。ただ外で仕事しているだけなので。
ま、昔、家で仕事やるのはSOHO、SOHO言って流行り言葉になりましたからね。
ノマド、ノマド言っている人たちはカフェとかで仕事をしている自分たちをカッコ良く
定義付けて欲しいだけなんじゃないでしょうか??
なんかそういうのがすごくダサイなーと思ってしまうんですよね。
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